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ハンドボール10年目の最後の試合

昨日は、中学から数えで10年目になるハンドボール人生の最後の大会でした。

キリもいいので、ハンドボールについて振り返ろうと思う。
(クソ長いから覚悟しろ)


オレは小学校のとき、球技は全くできないけど、走ることとかジャンプすることは得意で自信があった。

だから、部活をやるなら、陸上とかバレーとか、自分のポテンシャルを活かせるような部活に入りたかった。

行くと決まっていた中学には、バレー部も陸上部もなくて、受験しようかと思ったけど、地元を離れたくなくて
「まぁテニスとかやっとくか」くらいの気持ちで中学に上がった。


中1の一番初めの席順で隣になった奴が、ハンドボールを小学校からやってるやつだった。

陸上の選択肢が断たれているはぶっちゃけなんでもよかったから、そいつについてハンドボール部を見に行った。

あんまりボールを使わない仮練習をしたけど、ボールバンバンぶん投げてる先輩とかみておもしろそうだと思った。

オレのハンドボールのはじまり

ちなみに、オレは本当に球技が苦手でセンスもなく、この段階でのハンドボール投げは5m。
水泳やって少し回復したけど、小4での気管支炎で肺活量も人並み以下(当社比
足腰もそんなに強くなく、結構病弱。

同窓は13人くらいいたけど、その中で最弱を争うくらい下手だった1年生

けど、家の方針とかオレの方針とかもあって、練習はほとんど休まなかった。

2年生になると、同期が半分くらいになった。
オレは逆サイドでちょいちょい出してもらえるようになる。速攻を必死にやる。

先輩の引退後、部活への出席率で部長を任命される。

けど、オレはやっぱりほかのチームメイトよりも下手で、統率力もなかった。

顧問も結構投げやりで、ちょっと見に来た顧問がブチ切れたことにブチ切れて部活をボイコットしたこともある。
(いまでもこれは間違ってないと思う。

結局、市大会で敗退した。
すごいことに、終わったとき、涙は出なかった。

同期全員、「終わったわ」くらいの気持ちで引退してたと思う。

練習がちゃんとできなかったとか、そういうじゃなくて、みんな普通に楽しく部活をやって、
試合に負ける前から、これが最後かもしれないとか思いながらやってたのかもしれない。

悔しくなかったわけじゃない。


総勢七人の3年生で、そのうち二人は高校で陸上とか野球とかに入っていった。

一人はヘルニアの影響でスポーツを辞めた。

オレを含めた残り四人が、愛知県で指折りのチームにそれぞれバラバラに入った。

やっぱりみんなハンドやりてーんじゃんwwwwwwwww

みんな強豪に行って、よく大会であった。
みんなうまくなってるし、嬉しかった。

激 動 の 高 校 時 代

これは過大評価ではなくて、オレはその時代ではほぼ県内最強高校に入学していた。

スポーツ推薦とかではなくて、一般入試で入ったオレは、入学の段階すでにマイナススタート

またも最弱争いに巻き込まれる


中学で全国とか行くやつらが集まってるから当然といえば当然で、ぶっちゃけ馴染めなくて辞めようかと考えたぐらいw

同じ市(K市)から、違うチームのキャプテンも来てて、K市から3人もその高校に入学していた。

オレは脚力だけは少しだけ周りより強かったし、陸上部並みの体力の持ち主と、180越え左利きのやつとで
ポテンシャルのK市とか呼ばれてたw

1年生は雑用と基礎練なんだけど、これが本当につらかった。

けど、根性はそこそこあったので(当社比)、雑用を一番進んでやった。

本当におっちょこちょいでミスもしまくったけど、
1年生の最後には「雑用マスター」と呼ばれてた

2年生に上がると後輩が入ってくるんだけど、もちろん中学で全国行くような奴ら()

オレはなんとかユニフォームだけでももらおうと頑張った(

この頃には幾度もの合宿や遠征を経て、部活の友達とはすごく仲良くできた。

友達曰く「入学当初はどうしようもない陰キャラだったけどマシになった」そうです

2年生の夏、オレはレギュラー入りなどせず、京都インターハイで応援にいそしむ。

応援の楽しさに気づく(ぇ

先輩たちの夏の大会が終わると、ついに代替わりで俺らの代がやってくる。

2年生の夏から、本格的に練習に参加するようになった。

オレは圧倒的にシュート力がなかった。
上からはもちろん、本職のサイドシュートも、最後まで見極めるみたいなことが不得意だった。

逆サイドが意外と激戦で3人の候補がいた。

一人がレギュラー安定で、交代枠を二人で争うって形だった。

このころから、総合的な練習でもおおよそついていけるようになって、ハンドボールが楽しくなってきた。

でも結局Bチームの総取りが関の山だったけどwww
案外後輩たちと一緒にハンドするのも嫌いじゃなかったし、よかったw

冬の選抜大会で、オレはレギュラー入りさせてもらえた。

ポジションの交代役というより、一発屋として、そして雑用マスターの権威「ベンチワーカー」としてw

その大会では、歴代初の全国2位に輝いた。
一応オレも大会中に1点とりました(一発屋


とてもいい経験ができたし、とても楽しかった。

その後、夏のインターハイではレギュラー入りもせず、県大会敗退だったけど、
みんなが悲しむ傍ら、実はオレはすごく満足していた。

ボールも投げれなかったオレが、6年間でこの領域まで上がってこれたことが素直にうれしかった。
みんなが悔しがっているのが「負け」に対してなのか「終わり」に対してなのかは釈然としなかったけど
オレが感じてたのは「戦った」っていうことで、長い戦いに一つの終止符が打たれたことだった。

高校では、友人に恵まれて、「陰キャラ」からも脱退できた(らしい)し、
顧問の先生にも先輩にも友達にも、人として生きていくうえで大切なことをたくさん学んだ。

「常識」という概念が嫌いなオレでも、なんとなく社会に生き方をここで知った気がする。

親にもありえないぐらい迷惑をかけたと思う。とても感謝している。

人生の分岐点があるとすれば、多分この高校生活はかなり大きな役割を占めると思う。




そんなこんなでなんとか受験し、秋田に来た。

もうハンドはいいかなぁって思ってたけど、サークル紹介でハンド部につかまって、入部

今までの「部活」っていうのが覆るほどゆるっとした部活で、日ごろの運動にちょうどいい具合だったので入部

これまでの「底辺争い」からは考えられないぐらい重宝してもらえて、多少は自分が上手くなったことを自覚(錯覚)

2年生までは先輩のやり方には口を出さずに、ただただハンドボール楽しんでた。

オレが3年生の頃、先輩からキャプテンに任命される。(知ってた

ここで、ほぼ初めて、オレがハンドボールを教える立場になる。
同時に入ってくる1年生が、9割初心者だった。

オレは酒巻先生の本を買い、少ない練習でもハンドボールができるようになって、それでいて楽しめる練習を考えた。

毎月メニューを出して、現段階での話だけでなく、この練習の先に何があるのかを意識して教えた。

後輩もポテンシャルがすごく高くて「お前初心者かよ!!?」ってくらいメキメキうまくなってくれた。

まさかオレがセンターを務めてゲームの指揮を執り、指導者になるとは思ってなかった。

酒巻先生の本に
「指導者は、ただ教えるだけでなく、その人にあった成長方法を見極めて導くことだ」的なことが書いてあって
そうできるように努力した。

結果的に、最初はボールの投げ方もわからなかった後輩も、試合で動けるくらいには成長した。
とてもうれしかった。

4年生になって、代替わりして、後輩の子がキャプテンを務めた。
その子も高校全国級だったので、結構しっかり教えていたし、やっぱり口は出さずに一緒に練習してた。

そして、昨日、オレはそいつの計らいでフル出場で試合に出してもらった。

相手はオレごときのセンターでは太刀打ちできないし、今のチームではなにもできない、普通にうまいチームだった。

点差は圧倒的で、惨敗だった。

オレも、できることはすべてやれたし、クソみたいなミスはしなかった。

試合には負けたけど、オレはなにより、オレが教えた後輩と一緒にプレーできることがうれしかった。


現役視点で辛辣に言うと、パスもまともに回せないし、周りは見えてないし、走れないし、シュートは外すし、声は聞かないし、マークも見てないし、言いたいことはまだまだクソほどあるんだけど、そんなことはどうでもよくて、こんなオレの教えたかについてきてくれて、試合も一緒にやってくれて、最高だった。



多分社会人でもハンドはやると思う。
とりあえず10年間続けれてよかった。
今日は全身がこれまでにないくらい筋肉痛で幸せです

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